かなり楽しく歌います

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さて、ようやく本題の「楽しく生きる」ことと「自分のスタイルの確立」について。

前回、桂枝雀さんの豪快な落語で、枝雀スタイルというのをご紹介したが、
枝雀さんの高座手ぬぐいや色紙には "萬事機嫌よく" という文字が刻まれている。

"萬事機嫌よく" というのは、常に機嫌が良い=常に楽しく という意味で、
本来は 暗く陰気で 研究熱心で 生真面目な枝雀さんが、これではいけない、
"日常生活と高座は 地続きだから、万事機嫌がよければ、自分も周囲も上手くいく"
だから いつも楽しく陽気に明るく暮らそう・過ごそうという、決意表明だったそうだ。

「せっかく生まれてきたのだから、楽しく生きなければならない」

日常でも高座でも、ひたすら楽しくありたいと、強く思い願われ、
笑顔の仮面も、10年も20年も、30年40年50年とかぶり続けることによって、
いつか その笑いの仮面が 自分の本当の顔になるだろうし、
仮面をかぶっていたのかさえも解らなくなってくるだろうと、考えられたそうだ。

「少しでも楽しく、少しでも愉快に、少しでも生きやすく」 と、枝雀さんは仰っていた。

また、ご自分の「枝雀落語とよばれる独自のスタイル(の確立)」 に関しても、
まず、"笑いとは?""人は何故笑うのか?" という、お笑いを研究し、
もちろん色々と試し、お稽古に励み、理論的に考えてはおられたが、
最終的に、楽しさを伝える手段として、「こうすれば面白いだろう」 「こうしよう」 ではなく、
あの表情や、あの身体の動きは、自然に "そうなっていた" そうだ。
「勝手に、顔がそうなっていた」 「勝手に身体が動いていた」 ということらしい。

※桂枝雀さんは、二度 重度のうつ病にかかられ、一度目に 回復なさった際に、
  この「萬時機嫌よく」を ご自分に課せられましたが、再び うつ病を患われ、
  1999年3月に自殺を図り、そのまま意識が回復することなく、
  4月19日に心不全でお亡くなりになりました。

ここで、ようやく話は、その1の桂南光さんに戻る。
特に パート2は、何かと勉強中や、修行中の方には、是非ご覧いただきたい。

【桂南光 トーク番組で 桂枝雀の思い出を語る 1/2 】




【桂南光 トーク番組で 桂枝雀の思い出を語る 2/2 】




変な例えになるかもしれないが、「俳優の△△さん(イケメン)に 似てますね」
「女優の○○さん(美女か可愛い)に 似てるよね」 と言われて、怒る人はいないと思う。
なのに、不思議なもので、芸事や芸術方面の "自分を表現する" 人間は、
「××さん(その方面で著名な方)に 似てるね」 と言われると、
腹が立つというか、不満に感じたり、怒る人が多いんじゃないかと思う。

私自身も 「ビリーホリデーみたいな退廃的なムードがあるよね」とか
「Are you Anita O'day ?(アニタ・オディという有名なジャズボーカルに似てるねという意味)」
「あのスキャットは、晩年のエラを聞いているようで、よかったよ。」
(いや、まぁ、かなりお世辞も含んでるんだと思うけど・・・)
と、声を掛けられると、やっぱり ちょっと むっとしてしまう。

「私は私でありたいのに・・・」 という心情から、○○に似てるというのは
私にとっては、ほめ言葉には 全く 聞こえないのだ。

でも、よく考えてみれば、ビリー・ホリデーにしたって、アニタ・オディだって、エラだって、
大シンガーであるわけで、その方々に 「似てて良かったよ」 というのは、
怒るべきところではなく、ヒャッホーイ!と 小躍りすべきことではないだろうか。

私がまだ20代前半で、「自分とは何か?」ということに悩むようになったきっかけというのが、
ある人(まぁ、ズバリ実姉なんだが)に、「歌が、(当時の歌の)先生にそっくり!」と、
言われたことだった。「マイクの使い方から、生き写しみたいになってたよー」と。

その時、自分の中で、それではいけない、自分を表現する世界なんだから、と悩み、
それで勢い余って先生の下を離れ、渡米することにつながったんだけど、
それも 今思えば、あの尊敬する先生に 似てると言われたのは、
褒められていたんだな、有難いと喜ぶべきことだったんだな、と思う。

今もだけど、それが 素直にうれしいと感じられない "自分" って、
それほどのものなのか? と自分に問いかけると、とても恥ずかしくなる。
「自分のスタイル」を大切にしているのではなくて、
単に 自分の (やっすい) プライドが大切なだけだったのだ。


先日、流木の作品(美術工芸品)を観る機会をいただいた。
作品の写真集だったので、実際の木の手触りやぬくもりは 想像のみであったが、
この流木は、自分の意思で 流木になったわけではない。(当然のことだけど)
樹木が自分の意思で お日様はこちらから差しているけど、
「こっちのほうが 格好良いから、こっちにむかってのびるんだー!」 と、
枝を伸ばしたわけではないわけで、なるようになった結果なのだ。

芸事には、もちろん "自分"というものが必要だし、自分を表現することが課題ではあるが、
"自分が""自分が" と、我をはる ことや、「こんな自分が格好良いだろう?」と
相手に押し付けることが、自分を表現することではない。

樹木で例えると、自然に逆らわず そのままの形であること、
光があたればその方向に伸び、水があればその方向に伸び、周囲の環境に適応すること、
人間でいうと、周囲からの刺激を受け、感動し、他人からの意見も素直に取り入れ、
(周囲に流されるのではなく) あるがままの自分という存在を受け入れることが、
自分を活かす(生かす)ことにつながるのではないかと思った。
そして、それが 自分を表現することであり、自分のスタイルになるんではないか。

人から褒められたら素直に喜び、人から注意されたら謙虚に反省し、
生きてることに感謝し、楽しく生きて、楽しく修行して、楽しく歌い続けた結果として、
いつか振り返った時に、いつの間にかこんな風になってました、というものが、
「自分のスタイル」であり、また そこに固執せず、精進していくことが大切なんだろうなと。

だから、これからは、「自分のスタイルとは?」 にこだわるのではなく、
充実した毎日を送って、楽しく歌うことに集中しようと思っている。
うん、たぶん それが一番。 (えっ!? ここにきて自画自賛!?)

というわけで、結局 自分のスタイルの確立には至っていませんが、
そう、焦ることもないんだなーと、悩んだところで仕方ないんだなーと、
結構 気持ちがスッキリしたので、この辺で。

では、最後に、「自分は運がいいんだー!」

テーマ:毎日が音楽だ - ジャンル:音楽
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